認知的不協和について
認知的不協和というのは、人間の精神状態にとって根が深い話だと思う。
俗に言う「それって言い訳じゃん」ってやつはほとんど認知的不協和に当てはまるのかも。
「私は推しがいるから彼氏とかいらない」
「お金はないけど、仕事でやりがいがあるから幸せ」
「日本は経済的に弱いけど治安が良いからいい国」
「〜だけど」って言い出して、結果的に生産性のある結論に辿りつくことはない。
「推し活は楽しいけど、長期的に楽しめる趣味なんだろうか」だとか
「仕事にやりがいはあるけど、もっとマネタイズできる手段はないか」とか
もっと自分の出した結論に一度疑ってかかるのも大切だ。
思考停止が正しかったことはないと、舞城王太郎も小説で書いていた。
少しでも自分の現状で納得のいかない部分があるのなら、思考を深堀して、違った行動に導く考えが必要だと思う。
インプットが足らないのでは?問題
思考が浅瀬で止まってしまうのは、インプットがないから深く潜る手段がわからないのではないか、と思った。
まさか思考を深める手段があるとは、ってことじゃないかと。
多くの人は、自分のことを過大評価する傾向があると聞いた。
自分は物事をうまく判断できていて、そしてこれからもそれができると思っていると、この思考浅瀬で遊んでしまう問題が出てくるのでは?
だから、認知的不協和に陥ってる人がいても、「もっとがんばれよ」じゃなくて「こう考えたら?」と優しい提案ベースでやってあげないと角が立つってことだ。
せめて自分だけでも、考えを正しいところへ導いてあげたいものだ。
常に自分を疑うこと。自戒を込めて。